2006年10月10日

瀋陽

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瀋陽駅だ。
戦前に日本が東京駅を模して造ったというが、なんか新しい。建て直したのかも知れない。

瀋陽は、大連から列車で4時間もかからない。バスでも、5時間かからないくらいらしい。
交通費も100元もかからないので、週末に行って帰ることもできる。
大連と異なり、見渡す限り平地で、自転車の量も多い。
さらに、後金の首都だったこともあり、見る価値のある遺跡も多い。
2004年、瀋陽故宮や皇帝陵墓などが世界遺産として登録され、これからさらに注目されるべき都市だ。

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瀋陽故宮。入場料50元。
北京の故宮と比べてかなり小さい。10分の1もないらしい。
故宮の内部は、歴代皇帝が建て増しを重ね、結構ぎっちりしてる。
入関以降北京に首都が移ってからは、歴代皇帝が清朝始祖の墓参りに巡幸した際に逗留する場所として使ったようだ。
「この部屋は誰々が使った」なんていう看板が出てる同じような建物がいっぱいで、結構退屈するし、北京故宮のような壮大さはない。
皇帝が政務を執ったという「大政殿」は、天壇のような八角形の建物で面白い。
しかし、後金−清という王朝にそれなりに興味を持って行かないとつまらないかも知れない。


次は、昭陵(北陵公園)。入場料36元。

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ここは、清の太宗ホンタイジの陵。
ここは故宮よりも面白いと思う。見所がはっきりしていて、全体の構造も整っている。
陵の周りは広い公園になっていて、公園を散策するのも面白い。

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真ん中の建物は、「隆恩殿」。立派な上になかなか渋くてよい。


遼寧省博物館は、一見の価値がある博物館だ。20元。
ここに来れば、中国東北地方の歴史がある程度分かる。
原始時代から遼の時代まで詳しく説明していて、展示物も豊富だ。
「遼三彩」やそれ以前の遼の焼き物は、なかなか面白かった。

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上の焼き物は「鶏冠壺」という。
あんまり鶏には見えないが、口の部分に鶏の頭をかたどった蓋が付いてるタイプもある。
もともとは動物の皮で作った飲み水なんかを入れるもので、馬の鞍にぶら下げて使いやすい形にしてあるようだ。
景徳鎮に代表されるような南方の陶器と違い、シンプルで日本人好みだ。
「鶏冠壺」だけでなく、ふつうの器もこんな感じで、なんかシンパシーを感じたわけだ。
こういう様式のものが、日本海を渡って日本に伝わったのかも知れない、という感じで興味をそそられた。


瀋陽で泊まったのは、弗菜芒戈賓館という、スペイン独資のホテルだ。
値段は150元(朝食付き)だが、かなり広くて清潔な部屋だった。
なんといっても、洗面所も広くてシャワーの湯量が豊富でちゃんとお湯が出るのが良かった。
瀋陽北駅の南側向かいにあり、交通の便もいい。
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この建物の4階にある。看板が全く出てないので、知らない人間には絶対に分からない。
この建物の斜め向かいに郵政賓館があり、そこで泊まろうと思ったが高いのでやめて外に出たらおっさんに声をかけられ、ここに案内されたわけだ。
奥に見えるのが、瀋陽北駅。
郵政賓館と凱菜大酒店がある交差点の東南角に位置する。
おすすめかもしれない。
posted by からみもち at 23:34| Comment(1) | TrackBack(1) | 旅行観光(中国東北部) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月08日

興城古城(遼寧省)

先週1週間は国慶節で休み、というのは以前書いた。
その間何をしていたかというと、やっぱり旅行だ。
興城−瀋陽と2カ所行ったのだが、まずは興城古城を紹介する。

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興城古城は、遼寧省西部にある明清時代の古城だ。
ガイドブックによると、平遙古城・荊州古城・西安古城と並んで「保留完整的四座古代城池」らしい。残念ながら、他の古城ではこんな宣伝はしてないのだが。
しかし東西南北四つの城門に城壁に鐘楼にと全て綺麗に残っていて、確かに情緒ある町並みではある。

日本では全く無名のこの古城だが、歴史的にはけっこう重要な城だったようだ。
興城は、中国東北部と北京とを結ぶ「遼西回廊」の真ん中に位置していて、軍事・交通の要衝だったという。

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この地図で言うと、「菊花島」の少し北に位置する。
だいたい錦州から秦皇島くらいまで、山と海の間の平地が比較的狭くなっていて、北京へ出ようとするなら海沿いの平地を通らざるを得なかったらしい。

17世紀、後金が入関した時もやはりこの地域を通ったが、明朝側の備えも万全で相当苦戦したらしい。
1626年、太祖ヌルハチがこの城を攻めたが失敗し、さらにその戦いで重傷を負って死亡したという。
翌年、太宗ホンタイジがこの城を攻め、それも失敗し、やはり重傷を負ったという。

この2つの戦いで一貫して興城守備軍の指揮を執っていたのが、「袁崇煥」という人物だ。
1629年、ホンタイジは10万の大軍で南征したがやはり袁崇煥に阻まれた。
どうしても袁崇煥に勝てない後金軍は、「反間の計」を使ったという。
袁崇煥と後金が裏で手を結んでいるという嘘の情報を捕虜にわざと漏らし、その捕虜を逃がしてその情報を伝えさせ、明朝の宮廷の疑心を誘った。その結果、袁崇煥は謀反の罪で処刑された。

まるで『三国志』かなんかのような話だ。
結局興城が清に攻め落とされるのは1642年なのだが、塞外民族が計略を使って中華政権を騙すという話は新鮮に感じた。
ヌルハチ・ホンタイジは高校の世界史で習ったが、袁崇煥という軍人がヌルハチを死に追いやったというのは全く知らなかった。こういう、日本人は知らないビッグネームが各地に存在するので、旅行してるとこういうことで感心したりする。

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袁崇煥の石像。興城駅の駅前に建っている。
袁崇煥はこの街の英雄のようだ。さすがに「袁崇煥牛肉」とか「袁崇煥牛肉拉面」は売ってないが。

しかしこの街は建築物以外、本当に何もない。
見るべき博物館もないし、特産品もない。
なにしろ明の時代に建設された町らしいし、「遼西回廊」自体、そんなに古くない。
遼や金などの東北地方から生まれた王朝もあるが、その時代には「遼西回廊」よりもう少し北から内蒙古へ抜けるルートが主に使われていたようだ。
だから、博物館に飾るような文物が豊富にあるわけではないし、特色ある土産物もない。

ただ、興城は海に結構近く、海岸沿いは国家級風景名勝区に認定されているので、夏に行くといいのかも知れない。
古城だけだったら「四座〜」の他のところへ行けば十分だと思う。
ラベル:古鎮 遼寧 旅行
posted by からみもち at 23:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅行観光(中国東北部) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする