2006年11月14日

三峡上り −中編−

長江のダムといえば「三峡大坝(三峡大ダム)」だ。
宜昌を出発してすぐのところに「葛洲坝」というダムがあり、これも閘門を備えているなかなか大きなダムだ。
実際のところ閘門初体験だった。
「閘門」とは、水位の異なる水面を船で行き来できるようにするしくみで、パナマ運河やスエズ運河にあるらしい、ということは昔学校で習ったが、名前のインパクトだけで今まで記憶にあるような代物だ。
葛洲坝の閘門は三峡大坝のものよりもだいぶ小さく、大型旅客船だったら一台ようやく入るような大きさだった。

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なにげに壮観な光景だ。
閘門にはいると、こんな風に扉が閉まり、水とかゴミとかがたまっていく。
ここまで溜まると、よく水漏れしないもんだと感心する。
何トンくらいの圧力が扉にかかっているのか。自分の括約筋ではとても耐えられない。

しかしこれよりさらにでかいのが三峡大坝だ。
閘門が4層連なっている。もはや地球上の生物ではない感じだ。エイリアンか。

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これで大きさは伝わるだろうか。
このくらいのものが4層続き、だんだん高く上がっていく。
一つの層で旅客船2隻分くらいの水位を上がる。合計で175mも上がるらしい。


「三峡」とは、「西陵峡」「巫峡」「瞿塘峡」の総称だ。長江の両岸は切り立った崖が続き、その崖やら奇岩やらを見上げながらまったりするのが三峡遊覧のあり方だ。

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こんな感じの光景が延々と続くわけだ。

2日目には巫峡小三峡の観光があった。
巫口という地点で小さい船に乗り換え、細い支流をさかのぼっていく。
川が細く崖も迫力があり、長江より水もきれいだ。奇岩が次々に現れるので、長江をさかのぼるより飽きない。

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次に、小三峡からさらに船を乗り換え、小小三峡というところを遊覧した。
これがまたおもしろかった。
ディズニーランドのなんとかクルーズみたいな船に乗り、ベトコンみたいな帽子をかぶったおっさんが前でガイドしてくれる。
峡谷の崖のところに笛を吹いてる人がいたり、民謡を歌う人がいたりして、本当になんとかクルーズだ。
こういう時の中国人のうかれっぷりは甚だしく、船の中で歌い出す客もいて、しまいにはみんなで民謡の合唱まで始まってしまった。
最初は、崖の上で歌ってる人に客の一人が大声で「kouqi!」と合いの手を入れた。
それが繰り返されるうちに合いの手を入れる人数が増えてきて、しまいには「kouqi!」の大合唱になった。
それで、後ろで船の舵を取っていたおっさんが、おもしろくなったのか、その「kouqi!」の歌を最初から最後まで全部歌ってくれ、さらに別の歌まで歌ってくれた。

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このおっさんだ。日本にいた頃に通っていた某サッカー教室のコーチに本当にそっくりだ。笑うとさらに似ている。
このおっさんによると、「kouqi!」とは、仲のよい友達、というような意味の方言らしい。漢字でどう書くの?と客の中国人が聞いたところ、表現する漢字はない、という説明だった。
こういうとき中国人は本当に陽気で、分かる箇所は合わせて大声で歌ったり、おっさんが区切りのよいところで止めようとしたら、次は?みたいに催促したり、楽しもうとするときは存分に楽しむ。
こうなると前のガイドのおっさんも黙っていられず、別の民謡を歌って、最後はみんなの拍手をもらっていた。
こういう感じの一体感のもてる交流というのを持つ機会はなかなかなく、自分の中ではよい思い出になった。

そういうわけで自分達の乗った小舟は他の人たちが乗ったものよりも盛り上がったようだった。
後で大船に戻ったとき、ガイドのお姉さんが民謡を紹介してくれ、私が「kouqi!」って言ったら「kouqi!」って合いの手を入れてください、と言って歌い始めたのはいいが、いまいち活きのいい合いの手が返ってこない、という日本でよく見るような光景を繰り広げていた。
少しだけ違うのは、一部の客だけ奇声に近い大声で「kouqi!」と返していたことだろうか。
自分は外の甲板でその奇声を聞きながら、あ〜やってるな〜、なんて昔の仲間を懐かしむような感傷に浸っていた。



後編へ続く
ラベル:湖北 旅行
posted by からみもち at 22:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行観光(華中地区) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

三峡上り −前編−

夏休みに、3泊4日で「三峡上りクルーズ」をした。
宜昌から重慶までの旅だ。値段は、1等客室で1,010元、観光費込み、食費別。

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観光する箇所は、小三峡、白帝廟、豊都鬼城の三つ。別料金で三峡ダム観光もある。
船の中は、一等客室だけあってさすがにまあまあ快適だった。
しかし客室は狭く、セミシングルみたいなベッドが2つ並んでいるだけ。2人で泊まったらかなり窮屈な思いをしそうだ。

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エアコンがついてるのが何よりの救いだ。長江沿岸の夏の暑さは半端じゃない。観光のない時はエアコンをつけて部屋でじっとしてる時間がほとんどだった。

船の中には食堂があり、そこで食事をする。
しかし食事のシステムが最初は全くわからず、本当に苦労した。
食堂では食卓に豪華な料理が並べられているにもかかわらず、席に着こうとすると追い払われる。
理由は、「包餐」だからだという。「包餐」とはつまり、テーブルごとにコースで料理を頼んでますよ、ということ。ツアーの客はツアー会社ごとに「包餐」で食べるらしい。
そんなこんなで食堂を追い出される。そんなこと言わずに食べさせてくれよ、飢え死にさせる気か、と思ったが表現できない。
船内で売店があり、そこでカップラーメンも売っているが、ラーメンに入れる熱湯が長江並みに濁っている。
最初の日はそのカップラーメン以外に食べるものがなく、飢え死にするか、寄生虫で死ぬか、というくらいに追いつめられ、仕方なく寄生虫で死ぬ方を選んだ。
その泥水のカップラーメンはあまりうまくなかった。ラーメン自体が元々まずいのか、泥水のせいなのか、空腹のあまりもはや分からなかった。

3日目くらいまで食事のシステムが分からず、観光にでたときに外で買ったり、スナック菓子を食べたりしてなんとかしのいでいた。
川の上で兵糧責めに遭っている気分だった。
そのうち気づいてきたのが、食事時間の頃になると放送が何度も流れることだ。その内容を注意して聞いてると、「〜旅行社〜」という言葉が何度も混ざっているのに気づいた。
これはもしかしたら食事の順番を放送で言っているのかもしれない、と思い、それなら個人の旅客は最後だろう、と推理して当てずっぽうのタイミングで食堂に行ってみると、中に入れてくれた。
10元を払い、炒め物を何種類か皿に盛ってもらう。それを自分でテーブルに持って行って食べる。

朝昼晩とも10元でこういう形で食事できたのだった。
それまでもたまに食堂で食べさせてくれたこともあったが、次に行くとまた追い出されたりする。
なぜかカウンターで立ち食い、という憂き目に遭ったが、他にも何人かそんな目に遭ってる中国人もいた。
だからきっと何かの条件が合えば食べることができるに違いないと信じていたが、なにせ言葉がほとんど分からなかったのでどうしようもなかった。

他にも白人女性3人組が兵糧攻めに遭っていた。外人は自分とその3人組だけのようだった。
彼女らは最後まで食事のシステムが分からなかったようで、ロビーで3人でスナック菓子やらを食べてる姿をよく見かけた。
彼女らも食堂に行ったときはかなり理不尽を感じただろうな、と同情はしたが、しかし3人ともいい具合に太っていた。
肥満気味の3人がロビーの端でしゃがんで額を寄せ合ってスナック菓子をぼりぼり食べている姿は哀れだがやはり滑稽で、まあこのまんまでいいか、とか思ってほっといた。
自分がもっと英語ができたら違ってたんだろうが。


中編へ続く

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ラベル:湖北 旅行
posted by からみもち at 23:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 旅行観光(華中地区) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月29日

宜昌〜当陽

宜昌は、長江三峡遊覧の起点となる城市だ。

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いわゆる「三峡」は重慶−宜昌の間にあり、宜昌−武漢の間には特別な風景はないため、ここ宜昌で船の乗り降りをするのが一般的らしい。船に乗る時間も一日短くなる。
しかしこの街自体にはとりたてて観光する場所はない。長江沿いの風景を楽しむくらいだ。

唯一、この街から長江を10キロくらい下ったところに、夷陵の古戦場跡というのがある。
「夷陵の戦い」とは、関羽・張飛の弔い合戦で劉備が呉に遠征し、呉の大都督陸遜と戦った戦いだ。
この戦いで劉備は敗れ、長江上流の白帝城まで退却し、そこで息を引き取った。

劉備が呉に遠征した理由の一つが、呉に荊州を奪われ、関羽を殺されたことだ。
関羽の首は孫権に献上され、さらに曹操の手に渡り、その後洛陽に葬られた。
関羽の胴体はというと、この宜昌からバスで東に2時間くらい走ったところにある「当陽」という町の郊外に葬られている。

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この「関陵」に、関羽の胴体が葬られている。入場料は15元。
洛陽の関陵とは違い、観光客は見当たらず、周囲もガランとしている。
しかし、中身はなかなか立派だ。

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関陵の中にある関羽像。
「関羽像」というと真っ赤で派手なのが多いが、これは渋くてかっこよかった。


当陽の町の中心にあるのが、「長坂坡」だ。
ここもやはり三国志の時代の故地で、趙雲が曹操の軍隊相手に暴れ回った場所だ。

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この辺りが、長坂坡。奥に見えるのが、趙雲像。
実際のところ、どこが長坂坡かというのははっきり分かってなく、考証の結果「大体この辺かな」というのがこの辺りらしい。
ここは見晴らしの良い緩やかな丘の上に位置していて、長坂坡のイメージはある。
当陽のバスターミナルから10分くらい歩いたところに位置し、本当に町中にある感じだ。

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趙雲像近影。これもなかなかよい。
分かりにくいが、胸にちゃんと劉禅を抱えている。


当陽は、観光客が誰もいなくて土産物屋もなく、何となく寂しいが、三国志が好きなら行ってもいい場所だと思う。
住民も商売っ気がないし、観光客がいないから外国人なんかが話しかけると珍しがって優しく接してくれる。
自分も道案内してくれた人からさらに昼食まで御馳走になった。

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フナだ。
これが出てきたとき正直食べたくないと思ったが、食べてみると味はなかなかだった。
しかしこの後2品くらいおかずが出てきて、食べきれなくなった。
綺麗な女の子ならまだしも、見ず知らずのおっさんを歓待してくれるんだから、それだけですごいことだ。
ラベル:湖北 旅行
posted by からみもち at 17:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 旅行観光(華中地区) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする